本末転倒なこと

幸福というものは、
ひとりでは決して味わえないもの
と、アルブーゾー は言う。

だから、同じ価値観を持った
者同士で幸せを求める
宗教というものが
ビジネス・メソッドとして
機能しているのだろう。

しかし実際、
人は、幸福になるためによりも
幸福だと人に思わせるために
四苦八苦している
と ラ・ロシュフーコー は言う。

はたから見て 
信仰していなくても幸せな人はいる。
信仰していても不幸な人はいる。

それ自体の不幸なんてない。
自ら不幸を思うから不幸になるのだと
宗教は教えるかも知れない。

それはそうだろう。
しかし、
幸福よりも信仰が大事な人は
はたして幸せなのだろうか?
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# by clairvoyant1000 | 2011-08-07 17:00 | 9)心とspirit

不安感について

いま、直接被災していない人たちにも精神的に不安定な状態に陥っているひとは多いのではないだろうか。

その原因は、巷の情報に振り回され自分の感性を信じることができず「これからどうなってしまうのだろう」という気持ちからかもしれない。

大切なのは平常心でいること。そうすれば直感が働いてくだらない情報に振り回されないですむ。未来がどうなるかなど分かるわけがなく、誰にも予想はつかない。だからこそ、今この時間を生きることが大切なのだ。

明治以来、日本はすさまじい勢いで発展を遂げてきたといわれる。当時の政府が中央集権国家を作り、政治制度や言葉などを「画一化」してきた成果だろう。そして、従順で勤勉な我々の祖先が一丸となって国を支えてきたからこそ、いまの日本があるのだと感謝している。

おかげで、経済大国と言われるようにはなったが、近年になって様々なところにほころびが表れてきた。その背景には、情報化社会と世界のグローバル化があると思う。

情報化社会は相互間の情報が違うことにこそ価値が生まれるものだから、「画一」では意味の無いものになってしまう。種類の少ない民族や言語で構成されているこの国では、世界の情勢が急速に変化しているにもかかわらず画一社会のため対応ができず、知らない間に取り残されてしまったというのが実情だろう。

明治以来つづいてきた「画一化」は、DNAに埋め込まれてしまったかのように、我々は物事を画一的に思考してしまいがちである。そう思わない場合でも、周りを見渡してなるべくほかの人と違わないように振舞う。画一化という過去の成功体験から逃れられず、多様な価値観というものを認めない。というより、理解しようとしていないのが問題だと思う。

しかし、これからは「多様性」がもっと許される日本になるべきではないだろうか。

ある人のゴミは、別の人の宝という諺は、価値観の違いを述べたものだし、他人とは、自分自身の心を読み取ることのできるレンズであると、エマーソン(米国の哲学者)は言った。私にとってこれは、インターネットで様々な人の意見を知るにつけて痛感する言葉である。

日本でユニークというと、「珍しい」とか「変わった」の意味で用いられるが、英語の unique は「唯一の」「無類の」「個性的」が第一義である。「エスニック・ダイバーシティ」という言葉は、私がマンハッタンで生活しているときに実感した。人種の多様性がダイナミックに働いてこそ相乗効果をもたらすという意味だ。

これから日本がどこへ向かっていこうとしているのか?周りを見回しても分からない。世間の空気など読もうとするのではなく、自分自身の感性を信じて判断するべきなのだ。

だから、不安を抱えて生きるより、今のこの時間を自分のために生きること。そして、後悔しない日々を送りたい。結局、皆の心が平安でいることが、すべての平安につながる。

やもしれぬ閉塞感のようなものを持っているとすれば、それはその人自身が持っている価値観によるものだ。
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# by clairvoyant1000 | 2011-08-06 15:09 | 9)心とspirit

コミットするとき

たくさんのエッセンスが散りばめられた村上春樹氏のスピーチを何気ないときにフッと思い出すことがある。その度にわたしは、彼の言葉を確認するために読み返す。

カタルーニャでのスピーチ
抜粋:核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

この言葉に私は共感し、このような観点で物事を見なければならないと思い知らされる。もちろん全く賛同できない、というよりは理解できない人が大勢いることも知っている。

私が過去に書いた時間の概念に関してのブログでは、JR福知山線脱線事故を例に挙げて「我々は加害者にも被害者になりえる」と書いた。この気持ちはいみじくも彼が核に対して言っていることとまったく同じ意味である。



悲惨な出来事の直接的な要因は誰にでも分かるだろう。けれど、それを防げなかった、あるいは拡大させてしまった原因というものはなかなか眼に見えないし表には出にくいものだ。しかし突き詰めていけばそれは我々一人ひとりの心にあるということが分かってくる。

村上氏に限らず、世の中にとても大きな出来事が起こると、人はコミットせざるを得なくなるようだ。それは、自分という存在が脅かされると感じたときに起こる本能によるものかも知れない。

ある人はボランティアという行動を起こし、ある人は言葉でそれをひとに伝え、またある人は仕事を代えたり環境を移したりして模索する。人生の転機というのは、直接的には関係ない出来事が起こったときに遠因しているのではないだろうか。まるで、見えない糸で結ばれているように。だから、何ごとも他人事として捉えるのではなく、当事者として考える「コミットメント」する姿勢が大切なのではないかと思うのだ。

※ルロイ・アンダーソン作曲の「syncopated clock」には、狂った時計という意味もある。
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# by clairvoyant1000 | 2011-07-16 17:50 | 9)心とspirit