カテゴリ:9)心とspirit( 25 )

家族とは... 「なっていく」ことなんだ!



(Na)
家族は、
最初から家族なわけじゃない。

一日、いちにちを
大切に積み重ねることで
家族は「家族」になっていく。

だいじょうぶ。つながっているから。

ギャップ・イヤーの旅(1990-2007年)


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by clairvoyant1000 | 2011-09-21 12:49 | 9)心とspirit

本末転倒なこと

幸福というものは、
ひとりでは決して味わえないもの
と、アルブーゾー は言う。

だから、同じ価値観を持った
者同士で幸せを求める
宗教というものが
ビジネス・メソッドとして
機能しているのだろう。

しかし実際、
人は、幸福になるためによりも
幸福だと人に思わせるために
四苦八苦している
と ラ・ロシュフーコー は言う。

はたから見て 
信仰していなくても幸せな人はいる。
信仰していても不幸な人はいる。

それ自体の不幸なんてない。
自ら不幸を思うから不幸になるのだと
宗教は教えるかも知れない。

それはそうだろう。
しかし、
幸福よりも信仰が大事な人は
はたして幸せなのだろうか?
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by clairvoyant1000 | 2011-08-07 17:00 | 9)心とspirit

不安感について

いま、直接被災していない人たちにも精神的に不安定な状態に陥っているひとは多いのではないだろうか。

その原因は、巷の情報に振り回され自分の感性を信じることができず「これからどうなってしまうのだろう」という気持ちからかもしれない。

大切なのは平常心でいること。そうすれば直感が働いてくだらない情報に振り回されないですむ。未来がどうなるかなど分かるわけがなく、誰にも予想はつかない。だからこそ、今この時間を生きることが大切なのだ。

明治以来、日本はすさまじい勢いで発展を遂げてきたといわれる。当時の政府が中央集権国家を作り、政治制度や言葉などを「画一化」してきた成果だろう。そして、従順で勤勉な我々の祖先が一丸となって国を支えてきたからこそ、いまの日本があるのだと感謝している。

おかげで、経済大国と言われるようにはなったが、近年になって様々なところにほころびが表れてきた。その背景には、情報化社会と世界のグローバル化があると思う。

情報化社会は相互間の情報が違うことにこそ価値が生まれるものだから、「画一」では意味の無いものになってしまう。種類の少ない民族や言語で構成されているこの国では、世界の情勢が急速に変化しているにもかかわらず画一社会のため対応ができず、知らない間に取り残されてしまったというのが実情だろう。

明治以来つづいてきた「画一化」は、DNAに埋め込まれてしまったかのように、我々は物事を画一的に思考してしまいがちである。そう思わない場合でも、周りを見渡してなるべくほかの人と違わないように振舞う。画一化という過去の成功体験から逃れられず、多様な価値観というものを認めない。というより、理解しようとしていないのが問題だと思う。

しかし、これからは「多様性」がもっと許される日本になるべきではないだろうか。

ある人のゴミは、別の人の宝という諺は、価値観の違いを述べたものだし、他人とは、自分自身の心を読み取ることのできるレンズであると、エマーソン(米国の哲学者)は言った。私にとってこれは、インターネットで様々な人の意見を知るにつけて痛感する言葉である。

日本でユニークというと、「珍しい」とか「変わった」の意味で用いられるが、英語の unique は「唯一の」「無類の」「個性的」が第一義である。「エスニック・ダイバーシティ」という言葉は、私がマンハッタンで生活しているときに実感した。人種の多様性がダイナミックに働いてこそ相乗効果をもたらすという意味だ。

これから日本がどこへ向かっていこうとしているのか?周りを見回しても分からない。世間の空気など読もうとするのではなく、自分自身の感性を信じて判断するべきなのだ。

だから、不安を抱えて生きるより、今のこの時間を自分のために生きること。そして、後悔しない日々を送りたい。結局、皆の心が平安でいることが、すべての平安につながる。

やもしれぬ閉塞感のようなものを持っているとすれば、それはその人自身が持っている価値観によるものだ。
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by clairvoyant1000 | 2011-08-06 15:09 | 9)心とspirit

コミットするとき

たくさんのエッセンスが散りばめられた村上春樹氏のスピーチを何気ないときにフッと思い出すことがある。その度にわたしは、彼の言葉を確認するために読み返す。

カタルーニャでのスピーチ
抜粋:核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

この言葉に私は共感し、このような観点で物事を見なければならないと思い知らされる。もちろん全く賛同できない、というよりは理解できない人が大勢いることも知っている。

私が過去に書いた時間の概念に関してのブログでは、JR福知山線脱線事故を例に挙げて「我々は加害者にも被害者になりえる」と書いた。この気持ちはいみじくも彼が核に対して言っていることとまったく同じ意味である。



悲惨な出来事の直接的な要因は誰にでも分かるだろう。けれど、それを防げなかった、あるいは拡大させてしまった原因というものはなかなか眼に見えないし表には出にくいものだ。しかし突き詰めていけばそれは我々一人ひとりの心にあるということが分かってくる。

村上氏に限らず、世の中にとても大きな出来事が起こると、人はコミットせざるを得なくなるようだ。それは、自分という存在が脅かされると感じたときに起こる本能によるものかも知れない。

ある人はボランティアという行動を起こし、ある人は言葉でそれをひとに伝え、またある人は仕事を代えたり環境を移したりして模索する。人生の転機というのは、直接的には関係ない出来事が起こったときに遠因しているのではないだろうか。まるで、見えない糸で結ばれているように。だから、何ごとも他人事として捉えるのではなく、当事者として考える「コミットメント」する姿勢が大切なのではないかと思うのだ。

※ルロイ・アンダーソン作曲の「syncopated clock」には、狂った時計という意味もある。
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by clairvoyant1000 | 2011-07-16 17:50 | 9)心とspirit

非現実的な夢想家として

村上春樹氏のスピーチ









村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(原文のまま)2011年6月9日ロイター

「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によって津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

どうしてか?

桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

理由は簡単です。「効率」です。

原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

「大統領、私の両手は血にまみれています」トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(
バルセロナ共同)
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by clairvoyant1000 | 2011-06-11 08:35 | 9)心とspirit

ウグイスと凝縮された時間

天気の良い金曜日。思いがけない時間が取れたので、地主のおばさんの許可を貰って裏の山にハッサクを取りにいった。そのまま食べるには酸っぱいので、いつものようにジャムを作るためだ。

もう何度もやっているので包丁さばきはお手のもの。縦に6つに切って両側の厚皮を部分的に切り落とし甘皮の先端を切る。こうしてからひとつずつ丁寧に甘皮をむき白い筋も取り除いて果実の部分だけをなべに入れていく。

面倒くさい作業だけれどラジオがその気分を紛らわせてくれる。様々なジャンルのクラシック音楽を聴かせてくれるのでチューニングはNHK-FMでフィックスだ。いま流れている曲は「星条旗よ永遠なれ」。どうやら吹奏楽の特集らしい。私は、学生のときに吹奏楽部でユーフォニァムを吹いていた頃のことを思い出しながらオレンジ色のツブツブと格闘していた。

ジャム作りは、竹炭を作るのに似ている。両方とも手間と時間がかかる。その時間は無駄のように思えるけれど、時間をかけて「時間を凝縮する」ことで生まれるものがある。果実はジャムになり、竹は炭になる。そう考えてみると我々は時間を凝縮して作ったものを食べたり使ったりしている。竹が炭に生まれ変わることで生活のなかで便利に使えるようになるし、果実がジャムになることでヨーグルトにいれたりパンに塗ったりできる。熟成させた酒を飲むことは、凝縮された時間を飲んでいるとも言えるだろう。

この島に来るまで、この「手間と時間」をお金で買っていた訳だが、自分の手で作ってみると分かってくることや見えてくるものがある。そのおかげでこの手間と時間は無駄なものではなくなり、面倒くさいという気持ちも払拭してくれる。

そんなことを考えながら、「星条旗よ永遠なれ」を聴いていてさらに気付いたことがある。発見といってもいいかもしれない。グランディオーソ(最も盛り上がる部分)のピッコロの聞かせどころに差しかかったとき、この軽快なピッコロの演奏が窓の外からも聞こえだしたではないか!?ほとんど同じキーで同じテンポで。

しかし、窓の外で演奏しているのは「星条旗よ永遠なれ」ではなく、ウグイスによる「初夏の訪れ」の調だった。

それで私は確信した。ピッコロで小鳥のさえずりを表現する曲はたくさんあるけれど、鳥の種類にたとえるとするならだんぜんウグイスだと。

キッチン・シンクははっさくの皮で山となり、鍋いっぱいの果実の粒々が出来上がった。あとは砂糖とすこしの水飴を混ぜて煮るだけである。
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by clairvoyant1000 | 2010-06-04 07:16 | 9)心とspirit

#140:三人の日本人

先日、日本のマス・メディアは「3人の日本人がノーベル物理学賞を受賞した」と報道したが、ノーベル賞委員会のウェッブ・サイトや国際社会では、「2人の日本人と1人の米国人」としている。

日本の新聞社も、「その事実は知っているが、どこまで日本人と表記するかは我々の判断であり、今回の場合は、3人の日本人としたほうが紙面的にもインパクトがあり、特に間違っている表現ではないと考えている」ということだった。

南部氏*の名前や風貌からして、たしかに日本人と報道しても間違いではないかもしれない。いまの世論は、日本人の定義を国籍よりも「民族」に置いているようだから、新聞社もその空気をそんたくしたのだろう。日本のマス・メディアの判断とはそんなものだ。

おおかたの人は気づいていないかもしれないが、「日本人のように見える」ということは、日本という村社会の空気にやさしく包まれているということ。しかし、それは同時に「日本人のように見えない人」をガイジンとして排除する空気を醸成することにもつながっている。

国家に守られることのない(必要のない)海外で生活している日本人が、日本に「戻って来るたび」に感じる安堵と同時の息苦しさは、この空気のせいであろう。

以前、タイムズ・スクエアにたたずんでいた日本人観光客群のひとりの中年男性が、『アメリカ女性って意外にちいさいんだなあ』とつぶやいていたのを通りがかりに聞いたことがある。彼の目線の先にはラティーノの女性がいた。(私の知る限りラテン系女性は大柄ではない)

日本人以外を『ガイジン』と呼んでしまう日本人は相変わらず多い。

村社会から米国観光に来た彼にとって、タイムズ・スクエアを歩いている「日本人ではない人」は、みなアメリカ人に映るのだろう。さすがにガイジンと言わないのは、ここでは自分がガイジンだからである。(笑)

話がそれた。
何が言いたいのかというと、日本で認識されているであろう国籍や民族というものに対してパーセプション・ギャップを感じるのだ。

たとえば、ニューヨークで「○○人」と言えば出身国と民族とが曖昧に混ざった概念である。おそらく、南部氏本人に尋ねれば、『私はジャパニーズ・アメリカンです』と答えるのではないかと思う。

米国(マサチューセッツ州)在住の下村氏**は、「日本人でもアメリカに住めるのに、何でわざわざアメリカ人に変わる必要があるの? 研究費を取るにも差別はなかったし、ほとんど不便は感じない」と述べている。ちなみに彼は米国人として受賞しているが、彼と同じく日本国籍のまま米国永住権を取得している私が、しいて差別的に感じたことを挙げれば投票権が無いことくらいである。

研究を深めるためにさらに良い環境に拠点を移したいと思うのは学者として当然のこと。南部氏や下村氏のように優れた才能と素晴らしい「感性」を持った日本人が、米国の恵まれた環境で研究ができたからこそノーベル賞という成果につながったのだと思う。

才能には個人差があるだろうけれど、日本人の感性は日本人がみな持っている。これを日本で活かせないならば、恵まれた環境の場を求めて海外に出て行けば良いのだ。それは、アカデミックな分野だけでなく、ビジネスやアートやスポーツでも言えること。日本人の感性は、DNAと同じようにどこに行っても日本人だし国籍のように捨てられるものではない。

それは、「センス」でもないし「センシティビティ」とも言いにくい。なかなかぴったりする訳語が見つからないが、グローバリゼーションの時代、日本人は、この「KANSEI」で世界にアピールできるのではないかとノーベル賞ラッシュで思った。

*南部陽一郎:「素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見の功績」が認められ、2008年ノーベル物理学賞を受賞。

**下村脩:「オワンクラゲによる緑色蛍光タンパク質の発見と開発の功績」が認められ、2008年ノーベル化学賞を受賞。
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by clairvoyant1000 | 2008-10-29 20:41 | 9)心とspirit

#106:ねこと私の死生観

a0003694_9204143.jpgさいきん猫と暮らし始めた。

島に来る前、県内のボランティアの方にアダプション(養子縁組)をお願いしていた念願の「ラム」を迎え入れたのだ。3歳でキジトラの雌は私の想像どおりの猫だった。彼女とは以前から知り合いだったように意気投合し、すぐ仲良しになれた。2日目からはベッドで一緒に寝るようにもなった。人間の女性だとこう上手くはいかない。海のキラキラを眺めながら日向ぼっこするラムの後姿を見ていて、『100万回生きたねこ』を思いだした。

100万人のひとに飼われてその都度死ぬのだけれど、飼い主の愛情とは裏腹に、猫はその飼い主が大嫌いなのである。

さらに、「ねこは、しぬのなんかへいきだったのです」
ある時、猫はだれの飼い猫でもなく、野良猫になる。

そして、「ねこははじめて自分のねこになりました」
そのとき知り合った白猫に恋をし、彼女が年老いて死んだとき、
100万回生きた猫はその後を追うようにしずかに死ぬ。

「ねこはもうけっしていきかえりませんでした」
作者はそれいじょう語らないことで、私の想像力をふくらませる。

    

正岡子規は、闘病日記にこう書いている。
『悟りということは、如何なる場合にも平気で死ぬ事かと思っていたのは間違いで、悟りということは、如何なる場合にも平気で生きている事であった』と。

彼は死生観について、いかに死ぬかということから人生を見る見方と、いかに生きるかということから見る見方との両方大事なのだと教えてくれているように私は思う。

つまり、生と死は対極にあるのではなく、生と死は表裏一体なのだ。

『猫は初めて自分の猫になり、自分が大好きになった』
これが猫にとってのアイデンティティなのだろう。

人生はただ一度しかない。
この限りない一回性が我々の生に無言の重みを与えている。私は「9-11」を体験してから、もしも世界が明日終わるとしたらという意識を持つようになった。だからこそ、今日という日が大切に思える。そして私はいまここにこうしている。その一瞬が一生よりも重いということがあってもいいと思う。

米国育ちの娘に贈ったこの絵本、彼女はどのように解釈しているだろうか。
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by clairvoyant1000 | 2008-02-01 09:10 | 9)心とspirit

物なんて必要ない

Interview with God
豊かな人とは、最も多くの物を持っている人ではなく、
最も物を必要としない人だということ

物はある意味、充足感を満たしてくれるものではあるけれど
突き詰めていけば、必要不可欠な物などない。

精神的に未熟な人は、常に持っているモノに執着する。
彼らにとって捨てることがもっとも困難なのであろう。
その持っているモノにしがみついてしまう。

私は、大切な物をひとつづつ失わなければならない状況になるにしたがって
本当に大切なのは「物」ではないことが分かってきたような気がする。

モノを失ってみるとある意味「自由」になれる。
つながれていたモノから開放されるように。
もう、モノには支配されたくない。

捨てることのできる人は「生産的」な人だと思う。

人間の進歩とは、
つねに現在持っているものを捨て、
次のものを獲得することである。
(加藤諦三:偽りの愛・真実の愛)

この歳になるまえに
もっとはやくこのことが分かればよかったと思うけれど
きっと、いつだってこのような言葉は身の回りにあったのだと思う。

ただ気が付かなかっただけのこと。
身に染みる言葉って、それだけで有難い。
その言葉を、誰が発したかなんて
まったく関係ない。

その言葉によって
自分の心がどれだけ揺り動かされたか
それだけのこと。

「大人になる」ということは
何と多くの痛みをともなうことか。
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by clairvoyant1000 | 2007-09-13 00:17 | 9)心とspirit

9-11を象徴するモノ

言葉に表すことのできないこころの叫びが、マンハッタン中に漂っていた。きっとこれが戦争なんだと思った。地獄と化したダウンタウン以外はとても平和な島だった。

急遽、子どもを学校に迎えにいく道すがら、はるか南の方向には長い煙が立ち昇っていた。車の全く走らない静かな道を黙々と北へ歩く大勢の人々。そしてカオスな空気は、いつしか「大きな塊」になっていった。

あの出来事からフラッシュバックしてみると、6年を隔て2つのモノが浮かび上がってくる。

          

当時、マンハッタンのスーパーマーケットで飛ぶように売れたもの - それは、グラウンド・ゼロの瓦礫の山から立ちのぼるキナくさい煙やアスベストなどから肺を守るための防塵マスクだ。

6年経ったいま、ダウンタウンの住民、救助にあたった消防士、警察官、軍人、医療関係者に呼吸器疾患者が増え続けている。ビル崩壊後3ヶ月も消えなかった煙や粉塵に、恐らくマスクはそれほど役に立たなかったのだろう。

何年経っても、こころの傷は癒えず、身体の障害を訴える人もなくならない - それが戦争なのだと思う。

あの直後、「米国と共に立ち上がろう」というスローガンのもと、独立記念(7月4日)さえ見たことのない数の星条旗が街を埋め尽くした。アパートの窓、車両、ショウ・ウィンドウ、Tシャツ、そして手に手に小旗を持つ人々。

役に立たないマスメディアに代わり、ブログによる体験者の現場情報や意見が急激に注目を集めた。

米国民でもないのに、否、移民の国だからこそ愛国心のシンボルである星条旗の元に、「ひとつの塊」になっていった。同時に、そのエナジーに恐ろしさを感じた。

1本$7.99の星条旗の売上げは、全て*米国赤十字に寄付されるとアナウンスされていた。全米のウォルマートで年に3万本も売れない小さな旗が、テロ発生からわずか3日間で45万本を売り尽くした。
          

先日、『国旗は米国製であるべき』という法案がミネソタ州で可決され、他州でも追随する動きが目立っている。センサス(国勢調査)によると、昨年輸入された国旗(530万ドル)のほとんどが中国製だが、国旗は米国製であるべきという意見に対して賛否両論よせられている。

米国民のアイデンティティにもかかわることとして、このような議論が起こることはむしろ民主国家として健全なのかも知れない。

・戦争とは?
・愛国心とは?
・アイデンティティとは?

当事国意識のないまま戦争に加担し
愛国心を履き違え
アイデンティティというものを見失っている

かの国に私はいま居る。
防塵マスクと星条旗は、私に本質的なことを問いかける。

*米国赤十字(1800-HELP NOW)
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by clairvoyant1000 | 2007-09-10 07:00 | 9)心とspirit