千里の眼
2012-04-17T21:13:34+09:00
clairvoyant1000
千里の眼
Excite Blog
think different
http://thousand.exblog.jp/13900991/
2011-10-29T08:00:00+09:00
2012-04-17T21:13:34+09:00
2011-10-29T08:00:25+09:00
clairvoyant1000
8)文化とcalture
しかし、往々にして思い過ごしや勘違いをしている場合もあるはずだ。(それを私はパーセプション・ギャップと呼んでいる)
米国人にとってのcommonsense(常識)は、「ひとり一人が違うもの」という認識があるから、米国人全体の常識、まして暗黙の了解などというものは無いに等しい。だから『ジョーシキで考えれば分かるだろう』などと米国人に言っても通用しない。それは、日本人の常識でものを言っているに過ぎないからだ。「日本の常識は世界の非常識」というのは、こういう意味なのだと私は解釈している。
ひとつの例として交通ルールがある。マンハッタンを走るイエローキャブの機転の利くドライバーは、右折する際には一番左車線から、左折するなら一番右車線から大回りする。(私もそうする)
ルール違反ではあるが、マンハッタンで急ぐときにはこの方法に限る。交通ルールという「常識」を律儀に守っていてはいつまで経っても割り込まれてばかりで、客からたちまちブーイングが起こってしまう。
混沌としたマンハッタンの街を運転してみれば分かるが、滅茶苦茶なようでいて統制が取れており、大きな事故も起こらない。必要最低限のルールさえ守っていれば、あとは臨機応変に対応してこそ車もスムースに流れるというもの。違反チケットは容赦なく切られるが、それは自己責任ということ。
さて、HSBC銀行のブランド・キャンペーンユア・ポイント・オブ・ビューはとても興味深い。ふたつの写真を交互に並べて、視点を変えれば反対の意味にも捉えることができるというもの。「人はそれぞれに異なる見方を持つ」との考えにもとづき、多くの人々の意見を歓迎する企業であることをアピールしているのだ。
物の見方や価値観の相違をつねに考えるということは、スティーブ・ジョブズの遺言「think different」にも通じるものだと思う。
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R.I.P. Steve Jobs
http://thousand.exblog.jp/13763326/
2011-10-07T07:14:00+09:00
2011-10-07T07:17:53+09:00
2011-10-07T07:14:38+09:00
clairvoyant1000
filler
アップルと私の付き合いは、1991年から始まった。
ニューヨーク支社で支給されたマッキントッシュ・クラシックIIが最初の出会いだ。
とても可愛くて、頬擦りをしたくなるほどだった。カバーをガバッと開けると、内側に複数の製造者のハンドライティングのサイン(エンボス)が書かれている値打ちものだ。
ダイヤルアップ回線のインターネット(AOL)に接続し、様々なウェッブサイトを見ながら、このコンピューターから世界と繋がっているような気がした。
他のスタッフは早々と帰ったあとの誰もいないイーストビレッジのオフィスで、私はキリン・ビールのTVコマーシャルの見積書を書いていた。
窓の外は雪。どうやら積もりそうな勢いだ。誰かが近くでサックスの練習をしている。いや、このスゥイングはプロのストリート・ミュージシャンかも知れない。
どうしてニューヨーク時代のことを、こんなに鮮明に思い出せるのだろう?まるで、昨日のことのように。
◆
彼の悲報をラジオのニュースで聞いて、すぐに彼が作った名器「クラシックII」のことを思い出したのだ。
天才は、思う存分に生きた。
そしていい時に死んだのだ。
ジョン・レノンのように。
スティーブ・ジョブス。
私は、あなたからのメッセージ
「Think Different」を大切に
そして自分も
常にユニークでありたいと思っている。]]>
家族とは... 「なっていく」ことなんだ!
http://thousand.exblog.jp/13649615/
2011-09-21T12:49:31+09:00
2011-09-21T12:49:32+09:00
2011-09-21T12:49:32+09:00
clairvoyant1000
9)心とspirit
(Na)
家族は、
最初から家族なわけじゃない。
一日、いちにちを
大切に積み重ねることで
家族は「家族」になっていく。
だいじょうぶ。つながっているから。
ギャップ・イヤーの旅(1990-2007年)
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台風の日曜は図書日和
http://thousand.exblog.jp/13469894/
2011-09-04T19:12:01+09:00
2011-09-04T19:11:56+09:00
2011-09-04T19:11:56+09:00
clairvoyant1000
2)媒体とmedia
どうやら台風12号は、この島の真上をゆっくりと北上しているようだ。こんな日は本を読むに限る。ということで、台風の眼が通過中の晴れ間を狙って島の図書室に本を借りにいった。
けして蔵書は多くないけれど、たいがいの本は島根県内の図書館から取り寄せてくれるし、見つからないものは購入してくれるのでとても助かっている。新築されて素敵になった島の図書室は、私にとって快適で落ち着ける空間である。
頼んでおいた南方熊楠の「十二支考」は未だ届いていなかったが、「フェイスブック - 若き天才の野望」ほか4冊を借りる。
カウンターで手続きを待っていると、雑誌コーナーに立て掛けてある表紙の写真が眼に飛び込んできた。そういえば先々月、二人の雑誌スタッフが「鎮竹林」(竹林間伐ボランティアグループ)の取材に来ていたっけ。
マスメディアの仕事から決別した者としては、当然のことながら「上澄み掬い」の取材も拒否してきたわけだが、3年前の暮しの手帖の時と同じくコンセプトには共感できる部分があったし、私個人への取材ではなかったのでOKした。
◆
3-11を経験したことで「考え始めた人」が、仕事を代え、居を移し、環境を代え、自分を見つめ直すことがあってもいいかもしれない。ただそれだけのことだ。ブルータス(715号)]]>
困っているひと
http://thousand.exblog.jp/13401520/
2011-08-29T12:20:00+09:00
2011-08-30T12:46:20+09:00
2011-08-29T12:20:34+09:00
clairvoyant1000
filler
彼女は、ひとに読んで貰いたいから書いたのではない。その文章は書かれたがっていた。そして、書かずにはいられなかったから書いたのだろう。
#100:書くゆえに我あり]]>
ちいさな哲学者たち
http://thousand.exblog.jp/13318496/
2011-08-19T12:24:00+09:00
2011-08-23T16:49:32+09:00
2011-08-19T12:24:59+09:00
clairvoyant1000
filler
いまにして思えば、人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ気がする。そして、大人になるにしたがい、失っていくものがあるということも。]]>
本末転倒なこと
http://thousand.exblog.jp/13227652/
2011-08-07T17:00:00+09:00
2011-08-15T13:06:08+09:00
2011-08-07T17:00:06+09:00
clairvoyant1000
9)心とspirit
ひとりでは決して味わえないもの
と、アルブーゾー は言う。
だから、同じ価値観を持った
者同士で幸せを求める
宗教というものが
ビジネス・メソッドとして
機能しているのだろう。
しかし実際、
人は、幸福になるためによりも
幸福だと人に思わせるために
四苦八苦している
と ラ・ロシュフーコー は言う。
はたから見て
信仰していなくても幸せな人はいる。
信仰していても不幸な人はいる。
それ自体の不幸なんてない。
自ら不幸を思うから不幸になるのだと
宗教は教えるかも知れない。
それはそうだろう。
しかし、
幸福よりも信仰が大事な人は
はたして幸せなのだろうか?]]>
不安感について
http://thousand.exblog.jp/13227103/
2011-08-06T15:09:00+09:00
2011-08-07T15:10:40+09:00
2011-08-07T15:10:40+09:00
clairvoyant1000
9)心とspirit
その原因は、巷の情報に振り回され自分の感性を信じることができず「これからどうなってしまうのだろう」という気持ちからかもしれない。
大切なのは平常心でいること。そうすれば直感が働いてくだらない情報に振り回されないですむ。未来がどうなるかなど分かるわけがなく、誰にも予想はつかない。だからこそ、今この時間を生きることが大切なのだ。
明治以来、日本はすさまじい勢いで発展を遂げてきたといわれる。当時の政府が中央集権国家を作り、政治制度や言葉などを「画一化」してきた成果だろう。そして、従順で勤勉な我々の祖先が一丸となって国を支えてきたからこそ、いまの日本があるのだと感謝している。
おかげで、経済大国と言われるようにはなったが、近年になって様々なところにほころびが表れてきた。その背景には、情報化社会と世界のグローバル化があると思う。
情報化社会は相互間の情報が違うことにこそ価値が生まれるものだから、「画一」では意味の無いものになってしまう。種類の少ない民族や言語で構成されているこの国では、世界の情勢が急速に変化しているにもかかわらず画一社会のため対応ができず、知らない間に取り残されてしまったというのが実情だろう。
明治以来つづいてきた「画一化」は、DNAに埋め込まれてしまったかのように、我々は物事を画一的に思考してしまいがちである。そう思わない場合でも、周りを見渡してなるべくほかの人と違わないように振舞う。画一化という過去の成功体験から逃れられず、多様な価値観というものを認めない。というより、理解しようとしていないのが問題だと思う。
しかし、これからは「多様性」がもっと許される日本になるべきではないだろうか。
ある人のゴミは、別の人の宝という諺は、価値観の違いを述べたものだし、他人とは、自分自身の心を読み取ることのできるレンズであると、エマーソン(米国の哲学者)は言った。私にとってこれは、インターネットで様々な人の意見を知るにつけて痛感する言葉である。
日本でユニークというと、「珍しい」とか「変わった」の意味で用いられるが、英語の unique は「唯一の」「無類の」「個性的」が第一義である。「エスニック・ダイバーシティ」という言葉は、私がマンハッタンで生活しているときに実感した。人種の多様性がダイナミックに働いてこそ相乗効果をもたらすという意味だ。
これから日本がどこへ向かっていこうとしているのか?周りを見回しても分からない。世間の空気など読もうとするのではなく、自分自身の感性を信じて判断するべきなのだ。
だから、不安を抱えて生きるより、今のこの時間を自分のために生きること。そして、後悔しない日々を送りたい。結局、皆の心が平安でいることが、すべての平安につながる。
やもしれぬ閉塞感のようなものを持っているとすれば、それはその人自身が持っている価値観によるものだ。]]>
コミットするとき
http://thousand.exblog.jp/13088589/
2011-07-16T17:50:00+09:00
2011-07-25T18:53:27+09:00
2011-07-16T17:50:52+09:00
clairvoyant1000
9)心とspirit
カタルーニャでのスピーチ
抜粋:核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
この言葉に私は共感し、このような観点で物事を見なければならないと思い知らされる。もちろん全く賛同できない、というよりは理解できない人が大勢いることも知っている。
私が過去に書いた時間の概念に関してのブログでは、JR福知山線脱線事故を例に挙げて「我々は加害者にも被害者になりえる」と書いた。この気持ちはいみじくも彼が核に対して言っていることとまったく同じ意味である。
悲惨な出来事の直接的な要因は誰にでも分かるだろう。けれど、それを防げなかった、あるいは拡大させてしまった原因というものはなかなか眼に見えないし表には出にくいものだ。しかし突き詰めていけばそれは我々一人ひとりの心にあるということが分かってくる。
村上氏に限らず、世の中にとても大きな出来事が起こると、人はコミットせざるを得なくなるようだ。それは、自分という存在が脅かされると感じたときに起こる本能によるものかも知れない。
ある人はボランティアという行動を起こし、ある人は言葉でそれをひとに伝え、またある人は仕事を代えたり環境を移したりして模索する。人生の転機というのは、直接的には関係ない出来事が起こったときに遠因しているのではないだろうか。まるで、見えない糸で結ばれているように。だから、何ごとも他人事として捉えるのではなく、当事者として考える「コミットメント」する姿勢が大切なのではないかと思うのだ。
※ルロイ・アンダーソン作曲の「syncopated clock」には、狂った時計という意味もある。]]>
ナイーブな人たち
http://thousand.exblog.jp/13020907/
2011-07-04T14:48:00+09:00
2011-07-11T19:33:52+09:00
2011-07-04T14:48:30+09:00
clairvoyant1000
1)ニホンゴとenglish
さて本題。
日ごろ使われている言葉のなかで、私がどうしても理解できないもののひとつに「ナイーブ」がある。
日本では「繊細」「純粋」で傷つきやすい、あるいは「素直で飾り気が無い」などもっぱら肯定的な意味に使われているようだが、これはおそらく、naïveとsensitiveとを混同解釈しているからだろう。
Naïve(ナイーブ):世間知らず、世の中の経験が足りない
Sensitive(センシティブ):敏感な、繊細な、感受性が強い
本来のフランス語では上記のほかに「鈍感」「お人好し」「バカ正直」「ウブ」「無警戒」「幼稚な人」「信じ易い人」「だまされ易い人」という意味もある。米国社会でも同様に使われており、通例は悪い意味に多く用いられる。
かつてニクソンがケネディに対して「ナイーブ」という言葉を使い、ケネディが顔を真っ赤にして反論したというエピソードもある。「ないーぶ」と言われて喜ぶのは日本人だけだろう。
いま、世の中で何が起こっているのか?新聞を丹念に読んでも、TVのチャンネルを幾らかえても、ラジオのニュースに耳を傾けても得られない。
我々は、何を知らされていないか知ることはできない。
しかし、様々なメディアを組み合わせればおぼろげながら輪郭は見えてくる。それは、たったひとりの呟きだったり、専門家による長年の調査結果だったり、誰かが丹念にまとめあげたウェッブ・サイトだったり、ほんの数秒の映像だったりする場合もある。そして、マスメディアによる愚民向の報道も、裏読みとしては参考になるかもしれない。
インターネットの普及でそれが可能になった時代、いまだにマスメディアの報道を信じてしまう日本のサブスクライバー(読者、視聴者、聴取者)は、まさしくナイーブな人と言えるのではないか。そして、そういった人たちほど「ナイーブ」の意味を知らないのだ。やれやれ。
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非現実的な夢想家として
http://thousand.exblog.jp/12829903/
2011-06-11T08:35:00+09:00
2011-06-11T10:38:59+09:00
2011-06-11T08:35:47+09:00
clairvoyant1000
9)心とspirit
村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(原文のまま)2011年6月9日ロイター
「非現実的な夢想家として」
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によって津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)]]>
ゼロリスク神話の崩壊
http://thousand.exblog.jp/12784951/
2011-06-07T23:58:00+09:00
2011-06-09T21:00:17+09:00
2011-06-07T23:58:13+09:00
clairvoyant1000
3)戸惑いとsurprise
原発事故で突然降ってわいた「放射線」というものに、日本全国が大騒ぎをしている。この日本社会にリスクなど無いと信じていた人々にとっては青天のへきれきだろう。
政府や御用機関は、昔から「原発は安全です」と言いつづけてきたし、統治権力を疑いたくない日本国民はその「自明性」を要求し、マス・メディアはその自明性の流れに乗り、マス・メディアに左右され易いナイーブな日本人はリスクを見て見ぬ振りをする。この悪循環によって、『原発は危険だ』という声は抹殺され、あるはずのリスクが日本では見えにくくなっていったのだ。
この期に及んでも、政府は国民に対して危険か安全かという客観的な事実よりも、国民の「安心」(個々の主観)を最重要課題とせんがために事実を歪曲して知らせている。が、それも仕方ないだろう。なぜなら、リスクは無いものと思い込まされてきた日本国民(=ゼロリスク症候群)に危険な事実を知らせれば国中にパニックが起きかねないから。
◆
私が米国に住んでいた90年代、たまに日本に帰った際の違和感はとても面白い体験だった。たとえば、BSE騒動による「全頭検査」や、街中に氾濫していた「抗菌グッズ」。長いあいだ日本から離れて暮らしたことのない人には分からないもしれないが、私にとっては新鮮な驚きであった。日本人というのはこんなにも潔癖症だったのかと呆れもした。
リスクとは関係ないけれど、小室某の軽薄でチープな音楽が一世を風靡していた時には、『日本の稚拙化もここ極まれり』と思ったものだ。その後、詐欺罪で逮捕されたようだが、彼は世間に持て囃されて自分を見失い、なにか勘違いをしてしまったのではないかと思う。彼は日本社会のファディズムの波に飲み込まれてしまったのだろう。
そう。日本国民は何かに対して「それ一色」に急激に染まるけれど、時間が経つとそんなものは無かったかのようにすっかり忘れ去る(まるで大津波のような)「ファディズム」の傾向がある。全頭検査しかり、抗菌グッズしかり。そうしてみると、今回の放射線に対しても過剰反応するべきではないと私自身は思い始めている。というのも、リスクマネジメントの専門家の意見を知ったから。
被ばくのリスクというのは、一言でいえば「がん死亡率」の上昇だという。200ミリシーベルトの被ばくで、がん死亡率は最大1%程度上昇する可能性があると考えられている。また、100ミリシーベルト以下の放射線被ばくのリスクは、他の生活習慣の中に埋もれ、リスクを高めるかどうかを検証することができないとされている。
身の回りの「がん死亡率を高める」リスク比較で、例えば野菜(がん予防の効果あり)を嫌いな人の発がんリスクは、時間当りの相当被暴として100mSv(毎時ミリシーベルト)。ほかに、ふだんの生活でも以下のように被爆している計算になるようだ。
・受動喫煙:100mSv/h
・肥満や運動不足、塩分摂り過ぎ:200~500mSv/h
・喫煙、毎日3合以上のお酒:2,000mSv/h
喫煙や飲酒など、自ら選択するリスクといえる一方、原発事故に伴う放射線被ばくは、自分の意志とは関係ない降ってわいたリスクである。とはいえ、このようなデータを見るかぎり神経質になる必要はなさそうだ。
リスクマネジメントの専門家はいいことを言っていた。
「ゼロリスク神話」は崩壊した。しかし、今回の原発事故は、私たちが「リスクに満ちた限りある時間」を生きていることに気づかせてくれたとも言える。たとえば、がんになって人生が深まったと語る人が多いように、リスクを見つめ今を大切に生きることが、人生を豊かにするのだと思う。日本人が、この試練をプラスに変えていけることを切に望む。
原発推進派の意見に耳を貸すつもりは無いが、このような姿勢でリスクに対峙することは必要だと思った。そして、この期を境に「安全」と「安心」を無頓着に繋げて使うゼロリスク症候群の人が減ることを私は切に願っている。
安心なら安全か?
安心と安全を繋げるな!
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脱線事故とサマータイム
http://thousand.exblog.jp/12526619/
2011-05-06T08:03:00+09:00
2011-06-04T09:03:04+09:00
2011-05-06T08:03:24+09:00
clairvoyant1000
8)文化とcalture
米国では「日の長い期間に、時計を1時間進めて昼の時間を有効に使おう」という趣旨でデイライト・セービング・タイム(Daylight Saving Time=DST)と呼んでいる。日本でこの制度の概念が理解されないのは、サマータイム(夏時間)などという呼び方に問題があるようだ。
福知山線脱線事故では、JR西日本前社長が業務上過失致死傷罪に問われているようだけれど、私に言わせればあの事故の原因は「日本社会を取り巻く風潮」によるものだと思っている。つまり眼に見えない同調圧力だ。「空気」と言ってもいいかも知れない。そして、本質的な議論を差し置いて、誰かをスケープゴートにしなければ気がすまない日本社会に恐ろしさを感じる。
電車にかぎらず、バスでも地下鉄でも時刻表どおりに運行するものではなく『遅れても仕方ない』と利用者が思えるような寛容な社会にならなければDSTを導入しても意味が無い。(飛行機なら遅れてもしょうがないと思えるのに)
「デイライト・セービング・タイム」を日本風に置き換えれば、『夕焼けを眺めるゆとりを持とう』ということ。成長期から成熟期に入った日本において、時計を気にしながらガムシャラに働く時代はとうに終わっているのだから。
私とは全く違う意見として、こんなコラムを見つけた。
サマータイム制は論外=東京大学教授・坂村健
彼は、サマータイムの本来の趣旨が理解できていない証拠に、以下のように言っている。
サマータイムは特にそうだが、なぜか他のことでは信頼できる人が変にハマっていたりする。欧米留学時の夏の日へのノスタルジーなのか、一回言い出して引けなくなったのか-。
要するに、理解不能だから彼の脳が拒絶しているに過ぎない。自分でも分からずに何故かヒステリックに過剰反応してしまうのは、その人自身の脳によるものだ。
なにより時計をいじるというのは意図的に「コンピューター2000年問題」を引き起こすようなもの。
時間というものに神経質になるあまり、時計をいじることへの恐怖や違和感を覚えるのだろう。なかには、時計の針を進めることで原子炉システムの誤作動などの面倒が起こりかねないとか東証のコンピューターが誤作動して株価が暴落するのではないかといった滑稽な意見もあって呆れてしまう。こういう日本人は多いようだが、それでは米国でDSTのシーズンになってどれほどの混乱や問題が起こっているというのだろうか?
たしかに腕時計と駅のホームの時計が1時間ずれていたりする。デートに1時間遅刻して彼女にフラれたりもするだろう。大事な会議に遅れて会社をクビになるかも知れない。コンピューターの時計もDSTに対応していない場合もある。でも、『それらはたいした問題ではない』とほとんどの米国人が思っている。
意図的に時間のギャップをつくるDSTは、時間というものに神経質すぎる日本人には理解できないかも知れないが、新しい発見をしたり「人生ってすばらしい」と思える瞬間を体験できる。
それは理屈ではないのだ。
時計はそれぞれ違う時間を指しているかもしれないけれど、DSTが始まれば「4月の第1日曜日の午前2時から10月の最終日曜日の午前2時まで時計が1時間早まる」というルールにしたがって時が進むだけで、それに雁字搦めに縛られるわけではない。
ただそれだけのこと。
このような寛容さを日本社会がもたなければ、そして、電車が1分遅れたくらいで舌打ちをするような人が減らなければ「時間に追われる事故」はまた起こるかも知れないし、我々は被害者にも加害者にもなりえるということだ。
大人になるにしたがいおかしくなってしまった「時間に対しての観念」を素直な子どもの頃のように戻すために、モモ (作:ミヒャエル・エンデ)を読むことを薦める。
#133:ギャップ・イヤーという概念
#025:サマータイムって?
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10年遅れのパラダイム・シフト
http://thousand.exblog.jp/12444381/
2011-04-19T12:40:00+09:00
2011-04-19T12:48:53+09:00
2011-04-19T12:40:56+09:00
clairvoyant1000
2)媒体とmedia
おそらく、このカオスな状態が収まり(収まれば良いが)、小康状態になった頃(いつになる?)に自然と知れ渡ることだろう。
それは、日本人のメディア・リテラシーが「3-11」を境に間違いなく高まっているということだ。その証拠に大方のCGMユーザーにとって、ブログやツイッターが「日記のようなもの」ではなくなり「自分たちのメディア」として認識されはじめた筈である。
私はニューヨークで「9-11」を体験し、同時にブログが爆発的に普及した経緯を目の当たりにした。そう、ブログが世界的に広まったキッカケは「9-11」なのだ。
2001年、同時多発テロの発生直後、ニュース系のウェッブ・サイトにはアクセスが殺到し、ほとんど接続できない状況が続いて役に立たなかった。それを補うように、現場の状況と共に個人が撮影した写真や映像がブログに公開され、どこのウェッブ・サイトに行けば有用な情報を得られるかがやり取りされ、マス・メディアの情報源としても大きな威力を発揮した。
しかし、ブログが爆発的に普及したのはなにもオルタナティブ・メディアの役割を担ったことだけが理由ではない。人間の本能として、自分のやりきれない心境を公開することで癒されたり、その気持ちをほかの人と共有したいという思いが繋がってブログをここまで育て上げたのだと私は思っている。玉石混淆ではあるけれど、様々な人の意見を知ることで新たな発見もある。
いまから5年前。私は、ブログが日記として認識されている日本に「平和な国民性や世相を反映しているなあ」と皮肉を込めてブログに書いた。
徴兵制度も地域紛争もない、テロリストの標的にすらならない平和な国、日本。その代わりでも無いのだろうけれど、大地震が起こる。大津波が来る。沿岸には「国策」で進めてきたげんしりょくはつでんしょという厄介な荷物がある。そしていま、残念ながら平和とはいえない日本で(だからこそ)メディアはパラダイム・シフトを遂げ、60年代に大宅宗一氏が予言した「TVによる一億総白痴化」も終焉を迎えつつある。
今回の出来事で「ゲンパツ」の情報を取り上げる際のマス・メディアのスタンスというものを(平和を謳歌していた)誰もが気付いたはず。
この期を境に、バイアスのかかった御用報道を鵜呑みにすることをやめ、自分の感性を信じて情報を取捨選択して自らも情報を発信するような人が増えてくることだろう。そうなれば日本は、もっとましな表現の自由な国になるだろうし、今回の大災害も意味があるのではないかと私は思っている。
#100:書くゆえに我あり
#120:たわけ率
*パラダイム(paradigm):ある一時代の人々のモノの見方/考え方を根本的に規定している概念的枠組み。
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国民国家と民族の誕生:宮脇淳子/武田邦彦
http://thousand.exblog.jp/12328907/
2011-03-27T09:29:56+09:00
2011-03-27T09:29:53+09:00
2011-03-27T09:29:53+09:00
clairvoyant1000
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いやー面白い。]]>
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