以前、
空気に水を差すにも書いたけれど、一時的にせよ日本国中に蔓延する空気というものに違感を覚える。さしずめいまの空気は「小沢疑惑」といったところだろうか。
「検察が事情聴取を求めているから」とか、「TVでやっているから」「新聞に書いてあったから」といった程度でその報道を疑いもなく信じてしまう人が未だに多数を占める日本国民のメディア・リテラシーの低さは嘆かわしい。たとえ逮捕されたとしても、その人は犯罪者ではなく容疑者にすぎないにもかかわらず。
この空気は、おもに検察ファッショとそれに加担しているマス・メディアが作り上げたものであるが、ことの根源である「マス・メディアの問題点」に気が付いていない人でも、いまの空気に息苦しさを感じている人は少なからずいると思う。
このようなときには、蔓延している空気に水を差す。つまり、もしかしたら? という視点で、違った意見をたとえばニッチなメディアで自ら調べることで、新たな発見を得ることができる。
ほとんどの日本のマス・メディアのスタンスは、大衆に迎合し(空気を読んで)それを報道しているに過ぎないから、私にとっては価値のないものとして無視をしている。どうせマッチポンプよろしく、1週間もすれば次の獲物(ネタ)を追い求めることの繰り返しだからだ。
しかし、権力そのものである検察庁のリークを垂れ流すというのはあきらかにフェアではない。なぜなら、自分の頭で考えず空気を読むだけの大衆を一方向に煽動してしまう恐れがあるからだ。
それが空気の密度を更にいっそう濃くし(エスカレートさせ)、私を息苦しくさせている。
ニッチメディア例1:
郷原信郎インタビュー
ニッチメディア例2:
山崎行太郎ブログ
ニッチメディア例3:
#117:日本人という病