村上春樹氏が、「1Q84」 を執筆した経緯について、ロイターのインタビューにこう応えている。
「ポスト冷戦の世界というもののあり方を僕らは書いていかないといけないと思う。でもそれは、どれだけリアルに描いても書ききれないものだ。ではどういう風に書くかというと、メタファーで書くしかない」
まさしく、私が広告の仕事に携わっていた1Q80年代、つまりバブル経済さなかのTVコマーシャルの世界では、メッセージをコピーや映像で表現する場合、リアルな世界を描くのではなく、メタファーで表現することに注力していた。
この時代の広告主は、制作者である我々に対して、商品やサービスが直接売れることよりも、主に社会での「話題性」を望んでいた。つまり、伝える相手を「消費者」としてではなく、視聴者として見ていたように思う。
制作者である我々も、クリエイティブなどという言葉を隠れ蓑に、金に飽かせて贅沢なTVコマーシャルを次々と製作したものである。そして各々が自己満足に陥っていたような気がする。そのほうが、サブスクライバーに対してのインプレッションを持続させるものだと信じられていた良き(?)時代でもあったのだ。
そんな「総阿波踊り状態」に疑問を持ち始めた私は、社長に移動を直訴し1990年の暮れに念願のニューヨーク支社に赴任した。
マンハッタンでは、生活しているだけで米国マーケティングのダイナミズムに触れることができたし、同時に、日本の広告ビジネスを俯瞰で見比べることもできた。そんなとき、上澄みすくいの手法に終始している日本の広告文化の愚かさを痛感し、この世界から足を洗おうと決めた。
視点を変えるということは価値観すら変わるものだと分かった。
日本のバブル経済が終焉を迎えたのを、景気回復し始めていたニューヨークから眺めながら、自分自身がパラダイムシフトしていることを実感した。
そしていま、この1Q84を読み終えて村上氏もパラダイムシフトしつづけているのだなあと思った。