たとえば食の問題を報道する際、日本のマス・メディアはなぜ瑣末な部分にしか焦点を当てないのか。そして、サブスクライバーの不安を煽りながら、ニュース・バリューを持続させるというマッチ・ポンプを繰り返すのか。
社長や責任者が罪を認め、記者会見でハゲた頭を下げる図を見て溜飲を下げているとすれば、「水戸黄門」の視聴者と同じレベルである。
問題はなにも解決していないのだ。
マス・メディアが「一見落着劇」を演出するのは、あきらかに法律の不備と行政の不作為という「事の本質」を見失わせるためだと私は見ている。そういう意味でマス・メディアは、行政府の広報部門を忠実に担っているわけだ。
「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」をJAS法というらしいが、これはZAL法(ザル法)と変えた方がよい。なぜならこの法律、生産者や流通業者の「性善説」に基づいているので業者間取引には適用されないのだ。しかし、偽装を続ける会社の暴走を許しているのはZAL法だけではない。
悪質な会社からの内部告発を受けながらもそれを黙認しつづけ、目に余る場合にだけ役人の裁量によって取り締まる。この農水省の企業寄り体質こそが偽装続発の根源である。こんな
農水省に消費者行政を任せ、「一罰百戒」をたとえ百回繰り返したところで食品偽装は無くならない。
しょせんモグラ叩きゲームである。
仮にJAS法を強化しても、あまたある
独立行政法人ナントカセンターやら
社団法人ナントカ協会とか
財団法人かんとかセンターなど農水官僚の天下り先を肥え太らせるだけである。さらに官僚は企業への天下りという利害関係もあるから、業界志向になるのは当然だ。
政界の上げ潮派とやらはコンプライアンス不況を懸念してか、『消費者保護の名の下に過度の規制を行い、経済を萎縮させることがあってはならない』という。が、「保護」という偏った発想自体まちがっている。産業界の育成/保護から消費者の保護にシフトするのではなく、フェアな立場で監督しろと言いたい。
そもそも消費者行政というものは、消費者や消費者団体が積極的に参加し、その声が行政に反映される制度を構築するべきだと考える。
つまり、『官はでしゃばるな』ということ。
政府は、消費者のウップンの蓄積による暴走(モンスター化?)を恐れるあまり消費者行政の舵取りに慎重なようだが、フェアな環境に「モンスター・コンシューマー」はおらず、悪質な輩は「犯罪者」となる。そして、商品やサービスに自信がある企業は、理不尽なコンプレイン(苦情)には毅然とした態度を、苦言としてのクレイム(請求)には真摯に対応するべきである。
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