あの、市川準さんが亡くなった。
彼と最後に会ったのは、たしか90年代の終わりだろうか。リトル・イタリーのレストランで十数年振りに再会した準さんは、私が日本のプロダクション時代に知っていた準さんと何ら変わっていないことが嬉しかった。
聞くとニューヨークに2泊という強行ロケらしく、同行のスタッフを尻目に『ひどいだろう? でも、TVコマーシャルで欲求不満な部分、映画で好きなことをしているから丁度いいんだよ』と笑っていた。
「素人使い」の話になった。
私は、彼の原点は「禁煙パイポ」にあると思っているが、素人を起用することに定評があるのは、彼が常に人物を「映像のなかの配役」として観察しているからだろうと言ったおぼえがある。
「NTTコードレスホン」(1985年)の仕事は私にとっては印象深い。
主役は沢口靖子で、ほかの4名の出演者は300人ほどのオーディションのなかから決めてあった。ところが本番当日のスタジオで、彼はすでに決定していた新婚の夫役を起用せず、『石井君、代わりに出て』と言うものだから、急遽私が夫役を演じる羽目になった。
準さんは、結婚したばかりの私の状況を察知していたのだろうか、心憎い演出をしてくれた。かくして、リアルな新婚の夫役の顔のアップが全国のTVスポットや新聞の全15段広告に登場することとなった。
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ほとんど見るに耐えないTVコマーシャル群のなかにあって、「日本オリジナル」といえるCMのひとつの形を作った彼は、いままで一緒に仕事をしてきたなかで一番好きな演出家だった。
彼の亜流もずいぶん現れた。プロダクション時代に私のアシスタントだったK君がフリーの演出になって活躍しているという噂を風の便りで知った。『準さんのスケジュールが合わないときにはK君が重宝するんだよ』と日本に帰る度にゴルフを共にする広告代理店の営業は言っていた。後輩が活躍するのはうれしいことだけれど、二番煎じが通じる日本の広告業界は相変わらずだな、と思った。
「毎日の生活に根差した白子のり」というコンセプトの「白子のり」も楽しかった。質素な六畳間のセットの中央に丸いちゃぶ台。ローアングルのフィックス・カメラ。15秒のワンカット。
伊東家の朝の食卓と夜の食卓で交わす家族4人の会話は何故か同じなのだけど、ひとり一人の置かれた状況は違うという世界。小津映画のパロディのようなこの撮影現場は同時録音だったので、笑いをこらえるのが苦しかった。スタッフみんな、準さんの『カァット!』の合図と同時に声を出して笑った。
楽しい撮影現場だった。
このCM、数年後に開始されたTV番組、「伊東家の食卓」がうまれるきっかけになったのではないかと私は思っている。
優れた演出家が撮る映像というものは、たとえワンカットでもそれを見た者に何らかの触発を与えてくれる。知らず知らずのうちに彼の映像は多くの人に影響を与え、その残像はいまも生きつづけているはずだ。
私にとっての準さんは映画監督ではなく、あくまでもTVコマーシャルの演出家。気取らずに朴訥としたしゃべり口調。殺人的と思われるスケジュールも、ひょうひょうとこなす準さんに周りも気づかず、彼自身も苦痛に感じていなかったのだろう。しかし、身体は正直である。
若くして亡くなってしまったけれど、彼にとって充実した人生だったのであれば良いと思う。