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#149:最終回

1990年の末にニューヨークに渡って半年間は単身赴任だった。

57ストリートに面した高層アパートの23階。家財道具がまだ届かないがらんとした部屋でひとりだけのクリスマス(私の誕生日)を迎えた。広い道を挟んで向かい側のアパートのペントハウスには、「昔、マリリンモンローが住んでいた」と不動産ブローカーが教えてくれた。

大きな窓を開けると、街の騒音と一緒に、下から雪が舞い上がってきた。
『ホワイト・クリスマスだ!』と私は小躍りした。

あのときの街の騒音
ビル群にこだまする喧騒の反響音
グレーの空、乾いた空気、そして街のにおいもすべて覚えている。

あの日から私のニューヨーク生活が始まった。
すべてが映画のワンシーンのようだった。

いまでも、マンハッタンのどこの路地を曲がれば「何」があるかも知っている。あそこに行けば、その人にも会えるということも。

   ◆   

80年代に私が勤めていた日本のプロダクションは家庭的で居心地のいい会社だった。妻も会社で見つけた。総務部で働いていた会社のアイドルだった。いわゆる社内結婚である。この会社に一生を捧げてもいいと思った時期もある。

しかし、バブル経済の絶頂期、ニューヨーク支社への出向を社長に直訴したのは、居心地が良すぎてぬるま湯のような環境に耐えられなくなったからだ。言ってみれば、「ぬるい風呂」(日本の広告)から飛び出して「熱いシャワー」(米国のマーケティング)を浴びてみたくなったから。

日本経済のバブル崩壊と同時に従来の広告システムが立ち行かなくなるということを予感してイバラの道を選んだのは、私の本能によるものである。

   ◆   

これを読んでいる私よりも若い人に最後に伝えたいことは、
「それ」を感じたときこそ行動するべきだということ。
ただし、犠牲も覚悟しなければならない。

仕事がすべてではない。
家族がすべてでもない。
人は、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。
それが人生である。

私はいま、ささやかながらこころ豊かで穏やかな生活を送っている。
いくらお金があっても得ることのできないものを得たような気持ちだ。


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「ないものを数えず、あるものを数えて生きていく」そういう心境に至ることができた自分が嬉しい。

南側の窓からは穏やかな海が広がり、東側の窓には森の木々がそびえている。石垣まじりの竹薮がある北の縁側は静寂を感じさせ、私にとっては龍安寺の庭である。

いま、あられが降ってきた。かとおもうと、日差しがこぼれ青空が広がり、また、あられが降ってくる。こんな自然に囲まれた静かな部屋で、猫を膝に乗せながら最後のブログをここで書き終えることにする。

お知らせ:つたない文章にお付き合いいただいた数少ないサブスクライバーの方々、いままで有難うございました。今後は、Perception Gap(認識の違い)として個人のブログで更新を続けて参ります。
by clairvoyant1000 | 2008-12-27 18:42 | filler


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