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10年遅れのパラダイム・シフト

「3-11」が、日本におけるメディアの*パラダイムに大きな影響を与えていることに気付いている人はどれだけいるだろうか?

おそらく、このカオスな状態が収まり(収まれば良いが)、小康状態になった頃(いつになる?)に自然と知れ渡ることだろう。


それは、日本人のメディア・リテラシーが「3-11」を境に間違いなく高まっているということだ。その証拠に大方のCGMユーザーにとって、ブログやツイッターが「日記のようなもの」ではなくなり「自分たちのメディア」として認識されはじめた筈である。

私はニューヨークで「9-11」を体験し、同時にブログが爆発的に普及した経緯を目の当たりにした。そう、ブログが世界的に広まったキッカケは「9-11」なのだ。

2001年、同時多発テロの発生直後、ニュース系のウェッブ・サイトにはアクセスが殺到し、ほとんど接続できない状況が続いて役に立たなかった。それを補うように、現場の状況と共に個人が撮影した写真や映像がブログに公開され、どこのウェッブ・サイトに行けば有用な情報を得られるかがやり取りされ、マス・メディアの情報源としても大きな威力を発揮した。

しかし、ブログが爆発的に普及したのはなにもオルタナティブ・メディアの役割を担ったことだけが理由ではない。人間の本能として、自分のやりきれない心境を公開することで癒されたり、その気持ちをほかの人と共有したいという思いが繋がってブログをここまで育て上げたのだと私は思っている。玉石混淆ではあるけれど、様々な人の意見を知ることで新たな発見もある。

いまから5年前。私は、ブログが日記として認識されている日本に「平和な国民性や世相を反映しているなあ」と皮肉を込めてブログに書いた。

徴兵制度も地域紛争もない、テロリストの標的にすらならない平和な国、日本。その代わりでも無いのだろうけれど、大地震が起こる。大津波が来る。沿岸には「国策」で進めてきたげんしりょくはつでんしょという厄介な荷物がある。そしていま、残念ながら平和とはいえない日本で(だからこそ)メディアはパラダイム・シフトを遂げ、60年代に大宅宗一氏が予言した「TVによる一億総白痴化」も終焉を迎えつつある。

今回の出来事で「ゲンパツ」の情報を取り上げる際のマス・メディアのスタンスというものを(平和を謳歌していた)誰もが気付いたはず。

この期を境に、バイアスのかかった御用報道を鵜呑みにすることをやめ、自分の感性を信じて情報を取捨選択して自らも情報を発信するような人が増えてくることだろう。そうなれば日本は、もっとましな表現の自由な国になるだろうし、今回の大災害も意味があるのではないかと私は思っている。

#100:書くゆえに我あり
#120:たわけ率

*パラダイム(paradigm):ある一時代の人々のモノの見方/考え方を根本的に規定している概念的枠組み。

by clairvoyant1000 | 2011-04-19 12:40 | 2)媒体とmedia


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