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ウグイスと凝縮された時間

天気の良い金曜日。思いがけない時間が取れたので、地主のおばさんの許可を貰って裏の山にハッサクを取りにいった。そのまま食べるには酸っぱいので、いつものようにジャムを作るためだ。

もう何度もやっているので包丁さばきはお手のもの。縦に6つに切って両側の厚皮を部分的に切り落とし甘皮の先端を切る。こうしてからひとつずつ丁寧に甘皮をむき白い筋も取り除いて果実の部分だけをなべに入れていく。

面倒くさい作業だけれどラジオがその気分を紛らわせてくれる。様々なジャンルのクラシック音楽を聴かせてくれるのでチューニングはNHK-FMでフィックスだ。いま流れている曲は「星条旗よ永遠なれ」。どうやら吹奏楽の特集らしい。私は、学生のときに吹奏楽部でユーフォニァムを吹いていた頃のことを思い出しながらオレンジ色のツブツブと格闘していた。

ジャム作りは、竹炭を作るのに似ている。両方とも手間と時間がかかる。その時間は無駄のように思えるけれど、時間をかけて「時間を凝縮する」ことで生まれるものがある。果実はジャムになり、竹は炭になる。そう考えてみると我々は時間を凝縮して作ったものを食べたり使ったりしている。竹が炭に生まれ変わることで生活のなかで便利に使えるようになるし、果実がジャムになることでヨーグルトにいれたりパンに塗ったりできる。熟成させた酒を飲むことは、凝縮された時間を飲んでいるとも言えるだろう。

この島に来るまで、この「手間と時間」をお金で買っていた訳だが、自分の手で作ってみると分かってくることや見えてくるものがある。そのおかげでこの手間と時間は無駄なものではなくなり、面倒くさいという気持ちも払拭してくれる。

そんなことを考えながら、「星条旗よ永遠なれ」を聴いていてさらに気付いたことがある。発見といってもいいかもしれない。グランディオーソ(最も盛り上がる部分)のピッコロの聞かせどころに差しかかったとき、この軽快なピッコロの演奏が窓の外からも聞こえだしたではないか!?ほとんど同じキーで同じテンポで。

しかし、窓の外で演奏しているのは「星条旗よ永遠なれ」ではなく、ウグイスによる「初夏の訪れ」の調だった。

それで私は確信した。ピッコロで小鳥のさえずりを表現する曲はたくさんあるけれど、鳥の種類にたとえるとするならだんぜんウグイスだと。

キッチン・シンクははっさくの皮で山となり、鍋いっぱいの果実の粒々が出来上がった。あとは砂糖とすこしの水飴を混ぜて煮るだけである。
by clairvoyant1000 | 2010-06-04 07:16 | 9)心とspirit


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